その人のことは、その人から知りたい。

blog

こどもの頃から、
人のことを人づてに聞くのが、
あまり好きではありませんでした。

「あの人はこういう人」
「○○さんって、こうらしいよ」

そんなふうに、
本人から聞いたわけでもないのに、
まるで自分がよく知っているかのように
話す人が苦手でした。

私自身も、
どこを歩いていたとか、
どんな服を着ていたとか、
そんなことまで人づてに
親に伝わっていたことがあります。

それを親から聞いた時は
虫唾が走るというか、
とても気持ち悪い感覚になっていたことを
覚えています。

田舎では、
誰かが見ていることが
見守りや安心につながることも
あるかもしれません。
でも、私が違和感を持っていたのは、
そういうことではありませんでした。

本人のいないところで、
見たことや聞いたことが広がって、
いつの間にか
「この人はこういう人」と
決まったことのように話されていくこと。
それが、ずっと苦手でした。

たとえば、
私のピアノを一度も聴いたことがない人が、
「友子ちゃんはピアノが上手で…」
と、まるで知っていることのように話している。
「こちらがピアノの友子ちゃんよ」
と紹介される。

そんな時、私はいつも、
「このオバさん、私のピアノ、聴いたことないよね?」
と思っていました。
良いことを言われているからいい、
ということでもありませんでした。

知らないことを、
知っているように語る。
そこに違和感
がありました。

これは今も変わりません。
「あの人、すごい人だよ」
と誰かから聞いても、
私はそれだけで
その人を「すごい人」とは思いません。

どんな人なのか気になったら、
自分で調べる。
会える人なら会ってみる。
話を聞けるなら、話を聞いてみる。
その人が何を考えて、
何をしてきたのか。
自分で知って、
自分で感じて、
「ああ、この人すごいな」
と思いたい。

人の評価を信じない
ということではなくて、
人の評価だけで、
自分の評価まで決めたくない
のです。

だから私は、
誰かから聞いた情報だけで
知ったつもりになって
人のことを語れません。

その人のことは、
その人から知りたい。

昔は人づての噂話だったものが、
今はSNSの中で、
もっと速く、もっと恐ろしく
広がることもあります。
本人の知らないところで、
その人のイメージが作られていく。
その構造は、
どこか似ているように感じます。

私が言葉を強烈に意識すること、
大切にすることは、
そういった経験から
きているのかもしれません。

あなたは、誰かから聞いた情報を、
一度「自分フィルター」に通していますか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました