こどもの頃、
私は「ルールだから」
という言葉が嫌いでした。
学校では、
髪を染めてはいけない。
パーマはダメ。
ピアスもダメ。
私は、
反抗したかったわけではありません。
ただ、
「なぜ?」
と理由を知りたかったのです。
それだけでした。
でも返ってくるのは、
「ルールだから」
いや、だから、
そのルールは何のためにあるの?
こどもながらに、
ずっとそう思っていました。
私が知りたかったのは、
ルールを破っていいかどうかではなく、
「なぜそのルールがあるのか。」
でも、その理由を聞いても
いつも「ルールだから」で終わる。
「ルールだから」
では納得できなかった私は、
パーマをしたり、
ピアスをしたりしていました。
するとある時、先生本人ではなく、
別の生徒から
「○○先生がダメって言ってる」
と伝えられたことがありました。
私はその時、
「いや、私に直接言えばいいじゃん!」
と思いました。
直接注意をしても、
私がまた「なぜ?」と質問するから、
面倒だったのかもしれません。
でも、だからといって
生徒を通して注意することは、
ちゃんと向き合ってもらえていない感じがして、
こどもながらに腹が立ちました。
こどもの頃の私は、
ただ純粋に
「なぜ?」
「どうして?」
と知りたかったんです。
そして今も、
その「なぜ?」は、
私の中に強く残っています。
もちろん、
どこでも自分の考えを
押し通したいわけではありませんし、
聞く前に考えることも大事です。
場所や立場によって、
守るべきルールがあることもわかっています。
実際に、会社員時代にも、
経営側には経営側の理由があり、
現場には現場の見え方がありました。
同じルールでも、
その「なぜ」が共有されていないと、
受け取り方は大きく変わります。
だから私は、
その「なぜ」を言葉にして伝え、
現場の声も聞きながら、
それぞれが納得できるところを
探すように働きかけていました。
これは会社だけではなく、
社会のルールや制度にも
同じことが言えると思っています。
決める側には理由があり、
受け取る側には受け取る側の見え方がある。
だからこそ、
「なぜそうするのか」
を伝え合うことは大事。
私は、今も、そう考えています。


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