40代になると、
家庭でも職場でも役割が増えていきます。
日々の中で、私たちは名前よりも役割で呼ばれることの方が多いかもしれません。
「お母さん」
「お姉ちゃん」
「課長」
「先生」
「店員さん」
「代表」 等々
気づけば、その呼び名にすぐ反応できる自分がいます。
それは、役割をこなし、
必要とされてきた証でもあります。
でも、私は、「○○会社の人」や「○○くんのママ」ではなく
「私の名前」で、どれくらい過ごしているでしょうか?
「役割」は悪いものではない
役割があるからこそ、
私たちは力を発揮できる場面があります。
役割があるから、
私という人間を発揮できる。
そんなこともあると思います。
任されることで成長することもありますし、
誰かの役に立てたと、喜びを感じられる瞬間もあります。
こどもが「お手伝い」という役割をもらって嬉しそうにする姿や、
高齢の方が地域の役割を持つことで元気になる姿を見ることもあります。
私自身も、お役に立てたらとても嬉しいですし、
自分の役割を心得て生きていきたいと思っています。
役割があることは、決して悪いことではありません。
ただ、「役割だから」といって、
自分を犠牲にする必要はないと考えています。
例えば、
「お母さんだから我慢する」
「社長だから弱音を吐けない」
そんなふうに、自分を押し込める必要は
ないのではないでしょうか。
「役割」を着すぎていないか
頼られることに慣れている。
場の空気を整えることが上手。
誰かが困っていれば、自然と手を差し出す。
家庭でも、職場でも、
気づけば「役割」中心で
動いているということはないでしょうか。
本当は少し疲れている「私」も、
本当は黙っていたい「私」もいるのに、
「大丈夫です」「やります」と言ってしまう。
それが続くと、
「役割の中の私」を見てもらえているのか、
それとも「役割」だけが必要とされているのか、
わからなくなることがあります。
私自身も、そんな経験がありました。
あるプロジェクトについて相談を受け、
私は設計や進め方を提案しました。
何度も話し合い、時間を共にしてきたので、
パートナーのように、一緒に進めていくのだと
思っていたことがあります。
でも、私が見られていたのは、
「私」という人間ではなく、
その場で便利な「役割」だったのです。
「0」から「1」をつくる部分に、
私のアイデアや推進力とが
役割として必要とされていただけでした。
私が考え、言葉にしたことが、
まるで最初からその人のものだったかのように
語られている場面も見てきました。
会社で働いていた頃も、
私の立場に近づいてくる人がいました。
「頼られている」
「必要とされている」
そう思って応えていたけれど、
それは「私」ではなく
「役割」に向けられていたのかもしれません。
「役割」が評価されることと、
「私」が尊重されることは、
同じではないのだと感じました。
「役割」の中に「私」がいるのに、
役割だけが見られてしまうことがある。
そんなことがあるのだと、気づきました。
「肩書き」を外してみる
何かを辞める必要はありません。
「役割」を変える必要もありません。
ただ、ほんの少し。
母でもなく、
上司でもなく、
頼られる人でもない時間をつくる。
ただの「私」として過ごす時間です。
私の場合であれば、
フリーランス人事やプロデューサーという肩書きを外して、
「高嶋友子」に専念する時間を大事にするということ。
役割も含めて私。
でも、役割がなくなっても私は私。
それを思い出す時間です。
役割を脱ぎ捨てる必要はありません。
ただ、ときどき外してみる。
一日のどこかで、5分でもいい。
「自分の名前時間」をつくってみませんか。
「私は高嶋友子。This is ME!!」
そう言葉にするだけでも十分。
「私」でいるということ
役割は、着たり脱いだりできるものです。
でも、自分の名前はずっと変わりません。
母である私も、
社員である私も、
誰かを支える私も、
すべて私です。
役割の中で生きている私もいれば、
肩書きを外している私もいる。
どちらも私です。
役割は、私を縛るものではありません。
私が力を発揮する場所でもあります。
でも、その役割の奥には
いつも「私」という人間がいます。
役割を大切にしながら、
自分の名前も忘れない。
そんな在り方もあるのではないでしょうか。
これもまた、
This is ME のひとつです。



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